民主主義はいつだって闘いだ
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ホロコースト否定論者デイヴィッド・アーヴィングとユダヤ人歴史学者デボラ・E・リップシュタットとの裁判闘争を描いた映画である。
実話をもとにつくられているというのだから驚きである。
デボラからすれば、自分が負けた場合ホロコーストが否定されることになるわけだから、計り知れないプレッシャーの中で闘ったはずである。
アーヴィングは、ホロコースト否定の自説を批判するデボラをイギリスの法廷に名誉棄損で提訴した。
彼がイギリスの法廷を選んだ理由は訴えられた側に立証責任があるためだ。
歴史的事実を立証せよというのは極めて難しい問題である。
しかし、デボラとその弁護団は負けないために最善を尽くすのである。
僕はディベートをやっていたこともあり、事実を証明することやそれを説明することの難しさを知っている。
デボラは被害者に証言させたいと弁護団に申し出るが、感情論で判事を動かすことはできないため、結局採用はされなかった。
被害者がいくら叫んでも、それでホロコーストがあったという証明にはならないのだ。
本作を見て思ったのは、言論の自由の大切さと民主主義は常に闘いとともにあるということである。
ドイツやオーストリアではホロコースト否定が刑法で禁じられており、それを批判するつもりは全くないが、個人的にはいかなる言論も許されるべきであると思う。
なにかを全く禁止してしまうと、それに対する問題意識がなくなってしまうのだ。
民主主義下においては、あらゆる言論とそれに対する反論が認められているからこそ、社会における問題が顕在化しては解決しての繰り返しで、前に進んでいけるのではなかろうか。
もちろん民主主義下の主権者は、みんなデボラのように闘わなければならないのであるが。
ペンタゴン・ペーパーズも然り、西欧は民主主義のコストを知っており、市民は自由の代償を理解している気がする。
このような映画を観ると、翻って日本を見るに、非常に社会のバランスが悪いと思わざるを得ない。
誰かがやってくれるだろうという姿勢は、主権者の態度ではない。
子どものときからもっと責任と権限を与えて、主権者とはなんなのかを理解させるなどの教育が必要である。
もっと日本人は自由に生きることができるのだから。