『かもめ食堂』ー何気ない日常の中にある幸せー
何気ない日常が淡々と描かれており、変な盛り上がりもクライマックスも用意されていない。
でも、すーっと小説の中に入っている自分がいて、いつの間にか読み終えていた。
仕事をして生きていると日々があっという間に過ぎていく、そんな毎日が丁寧な筆致で書き綴られている。
最後は少しほっとしたところもいい。
思えばかもめ食堂で働く女性たちは、日本で自立を妨げられていた存在であって、フィンランドで自立した存在になったと見ることができるのではないか。
「あなたのお父さんやお母さんにもあやまらなくちゃいけないわね」
「それは‥‥‥、大丈夫です」
「でも、きっと怒るでしょう。あんなことになって」
「あれは私の店なので、両親は関係ないんです」(p.164)
フィンランドは社会保障などは充実しているが、個人にはしっかりとした自立が求められる。
著者はその辺の事情も織り交ぜて描いたのではなかろうか。
ニュースですぐに世界とつながってしまう現在では、日常が犠牲にされがちである。
グローバリゼーションがいかに進もうとも、身近な生活環境が一番大事であることは変わらない。
かもめ食堂に描かれているのは、身近な生活環境を大事に生きている感覚である。
だからこそ読んでいて落ち着くし、少し幸せな気分になれるのではないだろうか。
ガッチャマンが好きなトンミくんのような存在が捨て去られていないだろうか。
トンミくんのような存在を許容する余裕が社会から失われていないだろうか。
「笑い」がテレビ的なるものに侵されて、他人を落とすだけの殺伐とした構造になっていないだろうか。
スーパーマーケットの方が便利だが、市場の方が明らかに人間的であることは間違いない。
僕は市場を選択する人間でありたい。